フランスの都市ナント (Nantes) は歴史的にはブルターニュ地方の要であった。ブルターニュ地方はフランス北西部の突き出た半島部分であり、ナントはその根本にある。
この地方はローマ帝国崩壊から 1532 年にフランスに併合されるまでは、半ば独立した王国・公国の集まりであった。ブルターニュの名前はイギリスのブリテンと同根であり、ブルターニュのブルトン人・ブルトン語はケルト系の民族・言語である。英語ではブルターニュ地方を小ブリテンとも呼ぶ。ナントの市名はケルト系部族のナムネテス族が語源である。ブルターニュ地方は840年頃にブルターニュ王国として統一され 940 年頃にフランスの庇護下に入り公国になった。1488年の狂った戦争 (仏: Guerre folle) でフランスに負けた後に弱い立場に置かれ、最後の女公アンヌ・ド・ブルターニュは政略結婚で色々あった後フランス国王に嫁いだ。アンヌの死後(1514)暫くして、ブルターニュはフランスに吸収された(1532)。アンヌはナントのシンボルの一つであり、お土産屋にはアンヌが描かれたお菓子などが並んでいる。
現在はナントはロワール・アトランティック県の首都であり、行政的にはブルターニュ地域圏とは切り離されている。代わりにロワール・アトランティック県はペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の主要県になっている。ちなみに、ロワールは川の名前で、アトランティックは大西洋のことである。ナントはロワール川の沖積平野にあり、市内をロワール川が流れている。
ナントにはブルターニュ公が拠点としていたブルターニュ城があり、今では美術館になっている。本来はより大きな範囲がブルターニュ城だった、というよりヨーロッパでは異民族から住民を守るために街ごと城壁に囲まれているのが歴史的に普通だった。
ナントは港町としても栄えた。港跡地には造船所跡があり、其処に歴史のある巨大なクレーンが残されている。クレーンの車輪の周りには今では雑草が生い茂っている。このクレーンもナントの街のシンボルの一つになっている。造船所跡地にはメリーゴーランド (仏: carrousel) や、"機械" の動物園などがあり、機械の象は人を乗せて歩き回ることができ、名物の一つになっている。他に、透明の巨大な法律事務所のような政府機関(?)などもあった。ちなみに、街を一巡する緑の線が駅からずっと引かれていて、港跡地にもずっと緑の線が繋がっている。その緑の線に沿って、(港周りに限らず街の中の) いろいろな所に現代アートのオブジェが置かれている。フランス人は現代アートを置くのが好きなようだ。歴史的人物の銅像までもが現代アート的なポーズを取っていたりする。噴水のいわゆる小便小僧や自由の女神も其処に混ざっていてもおかしくない雰囲気である。実際、小便小僧も自由の女神もフランス起源である。ナント駅の前にある植物園にもオブジェが色々置かれている。他に、町中の第二次大戦の犠牲者の祈念施設には、フランス国旗のトリコロールに因んだ (※Wikipediaによると俗説らしい) 自由・平等・友愛 (仏: Liberté, Égalité, Fraternité) を高らかに謳う言葉が様々な言語で書かれていた。
クレープ (仏: crêpe) は実はブルターニュ地方が発祥だそうだ。元々はガレ (仏: galet) と呼ばれる蕎麦粉で作ったクレープの形の料理であり、それのデザートバージョンとして小麦粉で作った物がクレープだそうだ。ガレ料理の店に行くと、先ずはガレを食べて、デザートとしてクレープを食べる。他のテーブルのフランス人はクリームの載った大きなクレープを食べていたが、ガレを食べただけで既にお腹が一杯だったのでシンプルなクレープにした。いつかあの大きなクレープも食べてみたい。フランスでは普通の(コースでない日常の)食事でも、メインの料理に加えてお菓子を食べるのが習慣のようである。駅のキオスクで食べ物を買う時も、バゲットのサンドイッチと一緒にブリオッシュなどのデザートを皆買っていく。
ナントには伝統的なビスケットの大きな会社 LU がある。会議のお土産はこの LU のお菓子詰め合わせだった。ブルボンのアルフォートの元になったであろうビスケットとチョコレートを合わせてチョコレート表面に彫刻を施したお菓子もたくさん売られている。ちなみに調べてみるとアルフォール村 (仏: Alfortville) というのがフランスの内陸にある様だ。また、最近日本でも流行った (というか森永製菓が売り出した) 塩キャラメルはこの地方の伝統的な飴のようである。LU も塩キャラメル飴を売っている。韓国に行くと日本のお菓子をコピーしたようなものが売られているが、結局のところ日本の菓子会社も欧米のお菓子をほぼそのままコピーしているのである。とは言え、日本は多少なりともアレンジを加えている。因みに、中国はそのままコピーしている物もあるが、ちゃんとアレンジしているものも多い気がする。
ナント駅の前には街路樹の植わっている少し大きめの茂みがある。高速鉄道 inOui (TGV) を待ってうろうろしていたら、その茂みのなかでオコジョが走り回っていた。自分でも何故オコジョだと思ったのか分からないが、最近見たブログか何かで誰かが飼っているオコジョの写真を見た気がするのでそのせいだろう。気になったので検索してみた所、奇しくもブルターニュはオコジョに縁がある。ブルターニュ市内の色々な所に掲げられているブルターニュの紋章はオコジョ (仏: Hermine, エルミーヌ) をモチーフにしているそうだ。さらに最後の女公アンヌが狩りに出た時に、泥沼を背に追い込まれた白いオコジョが立ち向かって来たという逸話があるそうだ。それにアンヌが感銘を受けて、「穢れるよりも (不名誉よりも) 死を」という現在のブルターニュの標語を作った、という伝承である。どうにも武士道らしい…このような気概を日本の武士の特徴のようにいうこともあるが、実のところ高潔な貴族階級にとっては世界共通の心構えだったのかもしれない。さて、茂みのオコジョがまた姿を表さないかと待っていたが、葉っぱが時々がさがさと動くだけでなかなか姿を見せないし、現れても素早いので姿を捉える前に別の茂みに入ってしまう。実のところ、茂みにいたのは実際はオコジョではなくて別の小動物かもしれないが、オコジョだったと思うことにする。ナント駅の前の茂みの中で走り回って過ごす人生はどんなものだろうと思いながら去った。